真琴は、この日を境に物静かになってしまった。
物静か、というのは適切じゃないだろう。あくまできれい事だ。
言葉を扱うことすら苦手になっていた、というのが実際のところだった。
何もしない1日が多くなり、日がな1日、ぼぉっとしていた。
窓の外に降る雪を、俺と真琴は黙ってみていた。
真琴の手は俺の膝の上にある。
小さく、温かな手だ。
俺がそばにいることをいつだって試してみたいのだろう。
祐一「真琴」
真琴「・・・・・・・・」
祐一「おい、真琴」
真琴「・・・・・・・?」
ゆっくりと真琴の顔がこっちを向く。
祐一「みかん、食べるか」
秋子さんに貰ってあったみかんを手に取り、それを真琴に見せてみる。
真琴「・・・・・・・」
真琴「・・・・すっぱい?」
祐一「さぁ・・・それは食べてみないとな」
祐一「じゃあ、まず俺が食ってみるからな」
親指をみかんの窪みに差し込み、それに力を込めて真っ二つに引き裂く。
その片割れをさらに二つに割ってから、1房をはがして取り、口に含む。
真琴「・・・・すっぱい?」
祐一「いや、甘いよ。おいし・・・・・・・ぐっ!?」
突然、違う味が飛びこんでくる。
こ・・・・この味は・・・・・!
祐一「まさか・・・・・謎ジャムとは・・・・・」
みかんの中から謎ジャムが飛び出ていた。
真琴「じゃあ、ほしい」
祐一「食うなっ!」
間違っても人に食わせてはいけないシロモノだ。
夕食後、真琴が部屋に来た。
真琴「ごほん、よんで・・・」
祐一「ごほん?漫画か?」
こくり、と頷く。
祐一「よし、こっちに来い」
真琴「うん」
嬉しそうにとてとてと歩いてくる。
見ると、前に読んだことのある本だった。
だが、まだこういった娯楽に興味を示すのは俺としては勇気付けられることだった。
祐一「・・・『わかった。絶対に迎えに来るから』」
祐一「『そのときはふたりで一緒になろう。結婚しよう』」
真琴「・・・・・・」
真琴「したい・・・・」
祐一「あん?」
不意に真琴が声を上げる。
祐一「何か言ったか?」
真琴「したい・・・けっこん」
祐一「大きくなったらな」
真琴「祐一とけっこんしたい・・・」
真琴「そうしたらずっといっしょにいられる・・・・」
祐一「ああ、そうだな・・・・・」
真琴「・・・・」
祐一「続き・・・読むぞ?」
真琴「うん・・・」
真琴もすでに悟っていたのだろうか。
最後に迎えるときのことを。
そのとき、真琴は大きくないことを。
またお土産に、肉まんでも買っていってやろうかと商店街に寄る。
祐一「あ・・・・」
そこで俺はあるものを目にして、唐突に思い立つ。
居ても立っても入られなくて、走り出していた。
祐一(後になって後悔しないようにな)
真琴の想いには、応え続けてやる。
そう俺は誓ったはずだったから。
祐一「はぁ・・・はぁ・・・」
祐一「秋子さーんっ!名雪ーっ!」
靴を脱ぎ捨て、二人の名を呼びながらリビングへと飛びこむ。
名雪「どうしたの?」
都合よく、ふたりしてお茶を飲んでいるところだった。
秋子「・・・・?」
俺の勢いに驚いてか、ふたりは同時に俺へと顔を向けていた。
祐一「今から出かけないか」
名雪「え?どこへ行くの?」
祐一「商店街。たまにはみんなで外食、なんてのもいいんじゃないかと思って」
名雪「・・・・・?」
秋子「いいアイデアね。楽させて貰えるなら大歓迎よ」
秋子さんが、意を介したように言ってくれた。
名雪「お母さんのご飯は外で食べるよりも美味しいもんね」
名雪「でも、確かにたまにはいいかもね」
名雪も別段文句もつけず、賛同してくれた。
祐一「で、真琴は?」
秋子「遊び疲れたようで、寝てるわよ」
本当に秋子さんは真琴の相手を1日してくれていたようだった。
俺は感謝を笑顔で表すと、秋子さんはそれ以上の笑顔で応えてくれた。
俺は2階まで駆け上がると、真琴の部屋をノックして叫ぶ。
祐一「おい、真琴ーっ、今からみんなで出かけるぞーっ」
・・・・・・・・・。
返事が無かった。
*『ただのしかばねのようだ』
祐一「んなわけあるかっ!」
祐一「俺の部屋かな・・・?」
着替えるついでに、自室に戻ってみる。
すると案の定、真琴が俺のベッドですやすやと寝息を立てていた。
祐一「おい、真琴っ」
ぽん、とその頬に手を添える。
真琴「・・・・・・・」
真琴「・・・・・・・?」
薄目を開けて、俺の顔を見る。そして、すぐにその手で俺の服を掴んだ。
ちりん、と鈴の音が鳴った。
祐一「今から、みんなで出かけるぞ。いくだろ?」
真琴「うん」
もちろん、というように寝ぼけ眼のまま、ベッドから這い出る。
祐一「好きなもの、食わしてもらおうぜ」
秋子さんは、大歓迎と言っていたものの、台所を覗くと、それが気遣いであることが明らかになる。
すでにそこには夕食の用意が済ませてあったのだ。
というか、問題はそのメニュー。
謎ジャムフルコースだった。
祐一(食わないで良かった・・・)
心底、そう思った。
ちなみに、出かける時秋子さんが「チッ」と呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
祐一「さて、と・・・」
後は帰るだけとなったところで、俺は切り出す。
祐一「あれ、みんなでやらないか?」
名雪「え?」
皆が、俺の指差す先、煌煌としたゲームセンターの店先に目を向ける。
秋子「なに、あれ?」
名雪「プリント機ね。その場で取った写真がシールになるの」
名雪が俺の代わりに説明した。
秋子「へぇ、面白そうねぇ」
秋子さんは歳の割にノリがいい。なんて事を言ったら、怒られるだろうけど。
祐一「よし、じゃ、行こうぜ」
時間帯が良かった。
いつもは若い女の子達が列を作ってるはずのプリント機は無人だった。
のれんのような帳をくぐりディスプレイの前に並ぶ。
秋子「狭いわね・・・」
名雪「わ、お母さん押さないでよ、わたし、はみ出るっ」
祐一「こらこら、俺の前に来るなっ!」
押し合いへし合いする中で、真琴が居ないのに気づく。
祐一「おい、真琴っ、どこ行った?」
振りかえって探すと、少し離れたところでぼーっと突っ立って、こっちを見ていた。
真琴「・・・・・・」
そう。
真琴はいつもそうして、外から楽しそうな風景を見ているだけだったのだ。
そしてその喧騒が消えて無くなった後、一人寂しく自分をその中に投影させていた。
そんな幻影だけを映した、ひとりぼっちの写真を大事に持っていたのだ。
もうそんな写真なんて、持っている必要は無い。
祐一「なにやってんだよ、おまえ」
祐一「もう見てるだけじゃなくていいんだよ。ほら、一緒に写る仲間がいるだろ?」
真琴「・・・・・・」
祐一「待ってるんだぞ、おまえがくるのを。ほら、こいよ」
名雪「ね、真琴っ、一緒に撮ろうよ」
名雪も、そう真琴の名前を呼んだ。
秋子「真琴、真ん中、来なさい。お母さんは脇役でいいから」
秋子さんも、そう言って笑う。
こうして、みんなで真琴に呼びかけた。
すると・・・・・
真琴「わぁ」
嬉しそうに顔を綻ばせて、とてとてと寄ってきた。
俺はその姿を見て、涙が出そうになった。
祐一「よし、真ん中入れよ」
感情をほとんど失っているにもかかわらず、こんなにも喜ぶなんて。
憧れだったのだ。
ずっと、こいつはこうしたかったんだ。
人の繋がりから生まれる温もり。
そんな温もりの中に居て、ぬくぬくとそれを感じていたかっただけなんだ。
こいつが切望していたものは、こんなにもささやかなものだったんだ。
名雪「なんか、書き文字が入れられるみたい」
付属のペンを持って、名雪がディスプレイの説明書きとにらめっこしていた。
祐一「こんなものは、適当にやっていれば合っているんだよ」
それを奪い取って、ディスプレイに文字を走らせる。
名雪「これでいい?」
祐一「おう」
名雪「じゃ、撮るね」
祐一「おう」
名雪「真琴もいい?」
真琴「うんっ」
名雪が目の前の撮影ボタンを押した。
夜には花火をした。
それは秋子さんのアイデアだった。
いつか、真琴が花火をしたいと言っていた事を思い出してのことだった。
だがあの言葉は、真琴がしかられないように、その場しのぎで言ったものに過ぎなかった。
でも、それこそ今更だ。
俺達が4人が共有できる時間が作れるのなら、何でも良かった。
冬の花火は、わけもなく寂しく、費えるものたちの宴のように思えた。
真琴はよほど嬉しいのか、いろいろな花火を持って、俺に向けて撃ってきた。
ロケット花火は危ないから飛ばすな…。
目覚めは、いつだって怖い。
真琴がもう隣に居ないかもしれないからだ。
でも、まだ今朝も居てくれた。
祐一「・・・・・・」
俺が起き出しても、真琴はまったく目覚める様子は無く、小さな寝息を立てていた。
このところは、昼間でも少し目を離すと寝入ってしまうことが多かった。
疲れているのだろう。そのまま寝かせて、俺は部屋を出た。
その日の放課後。
祐一「よぅ」
俺は努めて明るく、彼女に声をかけた。
彼女はもうこれ以上、俺と関わりたくなかったのかもしれない。
でも俺は彼女と話したい。
話題はなんだっていい。
ただ、その後ろに背負っているものを、暗黙のうちにでも共有できればいい。
それだけで俺は落ちつける。自分を繋ぎとめておくことが出きる。
天野「はい」
天野はこれまでのように無感情な返事をよこした。
祐一「今から、帰り?」
天野「はい、これから狩りに・・・」
祐一「・・・・え?」
天野「いえ、なんでもありません。帰るところです」
『狩り』ってなんだ!
祐一「じゃあ、一緒に帰るか」
天野「でも、家の方向が全然違います」
祐一「いいんだよ。校門までだってな、ダメか?」
天野「いえ。なら校門まで」
俺と天野は言葉少なに会話を進めながら、廊下を歩いて行く。
下駄箱まで来ると一度分かれ、再び昇降口を抜けたところで落ち合う。
天野「あと、もう少しですね」
校門までの距離を目で測り、天野が言った。
祐一「そうだな」
天野「・・・・・・・」
二人の足が、校門を踏み越えた。
天野「それでは」
天野が軽く頭を下げて別れの挨拶をした。
祐一「ああ、またな」
天野「はい」
ふたりはその場で別れ、背を向け合った。
祐一「・・・・・・・・」
祐一「なぁ、天野!」
だが俺はきびすを返していた。
祐一「会ってやってくれないか、あいつに」
天野「・・・・・・・」
背を向けたままの天野は黙ったままだった。
また俺は彼女に辛い思いをさせてしまっているだろうか。
だけど、天野に会ってもらいたい。
今、全てを理解してあいつに接してやれるのは、俺以外には天野しか居なかった。
何か、声をかけて欲しかった。
あいつを少しでも安心させてやってほしい。
俺の我侭を訊いて欲しい。
天野「・・・・・・・・」
天野「はい」
天野はそう答えていた。
天野「・・・・・・」
真琴「・・・・・・・・?」
向かい合って立つ、真琴と天野。
ふたりとも無表情だった。
真琴は実際何も考えていないのだろう。
だが天野はその胸の内にどんな思いを今、めぐらせているのだろうか。
天野「はじめまして。天野と言います」
天野は挨拶から始めた。
真琴「・・・・・・・」
そして、真琴の挨拶を待った。
俺には天野の意図するところがわからない。
それはまるで、自分自身に対するあてつけのような、そんな気がした。
真琴は自分の名を名乗ることが出来ない。
それを彼女はまことの様子を一目見て、理解しているはずだったからだ。
天野「ほら、お名前は?」
真琴「あぅ・・・・・」
何を訊かれているのかも分からないのだろう。
真琴は口篭もって、ただ天野の顔を見返すばかりだった。
天野「お名前は?」
天野は質問を繰り返した。
語調は優しく、じれったい反応を見せる真琴を前にしても、終始穏やかなままだった。
そしてそれは、相手のことを1から10まで理解している者の優しさだった。
決して自虐的になっているわけでもなく、真琴に対して辛辣になっているわけでもない。
言うなれば、それは母のやさしさだった。
そのことを悟った時、俺の天野に対する疑念は立ち消えていた。
やはり、天野で良かった。
俺だって、今の天野の気持ちにはなれなかったのかもしれない。
それは、大きな痛みを受け入れて初めて生まれる、強さだと思う。
俺はそんな天野の姿を見られてだけでも十分満足だった。
天野は、きっと時間をかけて戻っていく。
そんな気がしていた。
天野「お名前は?」
根気良く、天野は質問を繰り返す。口調は、ずっと穏やかなままだった。
天野「ほら、お名前は?」
真琴「あぅ・・・・・ま・・・・」
天野「ま?」
こくり、と真琴が頷く。
天野「まの次は?」
真琴「こ・・・・・」
天野「まこ?まこでいいの?」
ぷるぷると顔を横に振る。
天野「まこ・・・の続きは?」
真琴「あぅ・・・・・・」
天野「ほら、もう少し」
真琴「・・・・・・」
真琴「・・・・と」
天野「と?まこと?真琴でいいの?」
真琴「まこと、あぅ。まことっ」
大きく頷く。ようやく挨拶が終わったのだ。
天野「いい名前ね、真琴」
真琴「あぅーっ」
嬉しそうに、真琴は手をぐーにして振り上げて見せていた。
言葉を発することが出来ない代わりに、その手首に巻かれた鈴が、ちりんちりんと歌うように跳ねた。
天野はご褒美でも与えるように、その真琴の頭をずっと撫でていた。
安らかに微笑みながら。
1月、最後の日。
その日も、真琴は俺の隣にいた。
今日が終われば、月が変わり、一歩春に近づく。
でも、まだまだ遠い。
まだまだ温かな春は遠い。
早く春になって欲しい。
真琴が好きな季節になってほしい。
そうすれば・・・
また、真琴は元気になるだろうから。
翌朝。
真琴が再び、熱を出した。
それがどういうことか、痛いほど良く分かっていたから、俺はただ打ちひしがれるだけだった。
天野が言っていた。
二度目を越えられることは無い、と。
ならばそれは間違い無いのだろう。
天野の言葉が間違っていたことは無かった。
それに、もし天野の言葉がなかったとしても、俺は悟っていただろう。
次、真琴が眠りについたとき。それが真琴の思いが霧散するとき。
そのことを。
俺は、誰よりも長く真琴と一緒にいたのだから。
だから今日と言う日の真琴が眠りにつくまでの短い間・・・・。
それが真琴と一緒に過ごせる最後の時間なのだ。
祐一「結婚しようか、真琴」
本を読むのを止めて、そう訊いた。
真琴「・・・・・・」
真琴「あぅ・・・・・」
眠たそうな目が、俺のほうを向く。
祐一「な、真琴」
俺が指を差し出すと、真琴がそれを小さな左手で握った。
祐一「そうか、よし」
俺はそれを返事だと受け取った。
祐一「じゃあ出かけよう」
祐一「ずっと、いっしょにいられるようにな」
秋子「あら、出かけるの?」
洗濯物を抱えた秋子さんと、廊下で出会う。
祐一「ええ。真琴と二人で」
秋子「学校さぼっておいて、不良ねぇ」
祐一「そうですね」
俺が頭を掻くと、秋子さんは、冗談よ、と言って笑った。
秋子さんは、ずっと良き理解者だった。きっとこれからも。
秋子「じゃ、おいしい晩御飯、作って待ってるわね」
真琴の頭に手を置いて、秋子さんが言う。
真琴がじっと、その顔を見つめる。
真琴「・・・・・・」
口が小さく動いた。
声にならず、何を言ったかわからなかった。
正面から口の動きを見ていた秋子さんには、もしかしたらその言葉がわかったのかもしれない。
声を詰まらせて、不意に後ろを向いた。
秋子「いってらっしゃい」
それだけを口を押さえた手の下から紡ぎ出した。
祐一「いってきます」
俺は真琴の手を引いて、その場を後にした。
秋子「・・・・・・おでん種(ぼそっ)」
祐一「・・・・・・」
何か言った気がするけどかなり気にしないことにする。
今年に入って、3度目の道。
濡れた落ち葉に足を取られて、いつも真琴が滑って転んでいた道だ。
祐一「ほら、足元見て、気をつけて歩けよ」
真琴「・・・・・・・」
一生懸命に真琴は足を踏みしめていく。
それでも足を滑らせたが、俺がしっかりと肩を支えてやったので、倒れなかった。
俺がそばにいるから、真琴はもう転ばなかった。
祐一「寒いな・・・・」
丘は一面、霞に覆われていた。
吐く息さえも、それに混じって見えない。
俺と真琴はしばらく黙って、風を受けていた。
ただ、手の温度から伝わる互いの存在を感じながら。
真琴「あぅ・・・・」
声がして、上着を引っ張られた。
祐一「どうした」
見ると、真琴が俺の胸に抱えられたものを見ていた。
祐一「おっと、そうだったな。悪い悪い」
それは肉まんの入った袋だった。
食べながら歩くと、真琴がそれにばっか気を取られて危なかったから、おあずけにしていたのだ。
祐一「好きなだけ食え」
開いた口に、ひとつ放りこんでやる。
ごくん。
一飲みにしていた。
祐一「なんでやねん・・・・」
祐一「・・・そろそろ始めるかぁ」
真琴「・・・・・・・・」
祐一「おい、真琴。起きてるか?」
真琴「・・・・・・・・」
祐一「うり〜」
俺の胸にあった真琴の頬を人差し指で押しこんでやる。
真琴「・・・・・・・・?」
ようやく気づいて、真琴が俺の顔を見る。
祐一「始めるぞ」
真琴「・・・・・・」
すぐ前の真琴の顔に向かって囁く。
祐一「俺達の結婚式だ」
参列者は、名雪が作ってくれた雪だるまだけ。
名雪に見られているようで恥ずかしかった。
でもそいつは溶けかけていて、自分のことで精一杯にも見えた。
それでも、そんな振りをして祝福してくれているのだろう。あいつらしかった。
そして俺は寒風に向かって立ち、永遠の祝詞を口ずさむ。
真琴は鼻歌でも聞くように、静かに耳を傾けていた。
これで真琴の願いは成就したと信じた。
最初、俺に憎しみの念を抱いて現われた真琴。
それは俺が一瞬の、人の温もりを与えてしまったためなんだろう。
何も知らなかった、純粋に無垢だったあの頃に。
そして真琴は帰ってきた。
もう一度、人の温もりの中に身を置くことを望んで。
子供のようにははしゃいで、みんなを困らせて・・・真琴は幸せだっただろうか。
それでも家族で一緒にいて、真琴は幸せだっただろうか。
嫌いな俺なんかと一緒に居て、真琴は幸せだっただろうか。
すべては、報われただろうか。
それでも本当はみんな好きだったことに気づいてれば、幸せなはずだった。
うわべではいがみあっていても、俺もお前を大好きだったことに気づいていれば、幸せなはずだった。
でも、おまえはいつだってあまのじゃくだったから・・・・
ちょっとだけ心配だよ、俺は。
祐一「真琴」
俺は小さな体を引き寄せて、抱きしめた。
祐一「ずっと、一緒に居ような」
祐一「ほら、これで遊ぼうぜ、真琴」
真琴「うーっ・・・・」
いつまでも泣き止まない真琴をあやすため、俺はその手首にはまる鈴を指先で転がした。
祐一「ちりんちりーん、ってな」
ちりんちりん。
小気味良く、音が鳴った。
真琴「あぅーっ・・・」
それへ視線をおとす真琴。
頬の震えが止まった。
祐一「ほら、真琴も、ちりんちりんしてみな」
祐一「おまえ、そうやって遊ぶの好きだっただろ」
真琴「あぅ・・・・」
指先を猫のように丸めて、その鈴を掻いた。
ちりんちりん。
真琴「あぅーっ・・・」
一度鳴らすと、それが鳴り止まないように、何度も何度も指で掻きつづけた。
ちりんちりん・・・ちりんちりん・・・
熱心な面持ちで真琴がそれに耽る。
・・・ちりんちりん・・・ちりんちりん・・・
ちりんちりん・・・ちりんちりん・・
ちりん・・・ちりん・・・
真琴「・・・・・・・」
やがて、それを子守唄代わりにするようにして、真琴の目が閉じて行く。
祐一「真琴・・・・?」
ちりん・・・・・ちりん・・・・・・
鈴の鳴る間隔が開いて行く。
祐一「おーい、真琴」
真琴「あぅっ・・・」
真琴が返事をして、もう一度目を見開いた。
そして、再び鈴を頑張って掻き出す。
ちりんちりん・・・ちりんちりん・・・
・・・ちりんちりん・・・ちりんちりん・・・
ちりんちりん・・・ちりんちりん・・・
・・・ちりん・・・・・・・・・ちりん・・・
・・・・・・ちりん・・・・・・ちりん・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・ちりん・・・・・
鈴の音が、途切れていく。
・・・・・・・。
祐一「おーい、真琴ぉ・・・」
真琴「・・・・・・・」
祐一「寝るなよ、真琴・・・」
うりうりと、その頬を指で押しこんでやる。
真琴「あぅ・・・・」
祐一「ほら、鈴で遊ぼうぜ」
手首を振ってやる。
ちりんちりん。
祐一「楽しいぞ、真琴」
それに習って、真琴の片方の指先で、その鈴を弱々しく掻いた。
ちりん・・・
祐一「そうそう。今度は俺の番だな」
俺のその鈴を指ではじく。
ちりんっ。
小気味良く音が広がる。
祐一「ずっとこうして遊んでいような」
祐一「な、真琴」
祐一「次、真琴の番だぞ」
・・・・。
祐一「真琴・・・?」
・・・・・。
祐一「ほら、お前の番だって。聞いているのか?」
・・・・・・。
祐一「ちりんちりん、ってはじくんだよ」
・・・・・。
祐一「どうしたんだよ、真琴・・・」
・・・・・。
祐一「真琴・・・・」
・・・・・・。
祐一「真琴ぉ・・・」
・・・・・。
・・・。
・・・。
とすっ、とその腕が俺の手から地面に落ちて・・・
ちりん・・・
最後の音を立てた。
俺はずっと忘れていたような、普通の日常の中に居た。
そこは呆れるくらい退屈な場所だったけど、そこにいるのが当たり前になってくると、やがてリハビリを終えた体のようにしっくり合ってくる。
そうなると、小さな驚きや発見でも新鮮だった。
もとよりそういうものの集合で日常は成り立っているわけだから、楽しくないはずは無い。
緩やかに流れる時節に、そうやって、たゆたっているのも悪くなかった。
天野「こんにちは」
と天野が言った。
祐一「こんにちは」
と俺は答えた。
天野「いいお日柄ですね」
祐一「天野は相変わらず、おばさんくさいな」
天野「ひどいですね。物腰が上品だと言ってください」
俺と天野はこうしてたまに時間を合わせては、話をするようになっていた。
天野「約束は守ってくださっているようですね」
祐一「ああ。元気だけが取り柄のようなもんだ」
祐一「心配無いよ」
天野「そうですか、良かったです」
俺に感化されるように天野も明るくなっているような気がする。
嬉しかった。
天野「相沢さんは、奇跡を起こせるとしたら、何を願いますか?」
くるん、と天野が体をひねって、俺の顔を覗きこんでいた。
祐一「そうだな・・・・」
そんなことは決まっていた。
真琴が、また帰ってくること・・・。
それだけだ。
祐一「おお、そうだ。最後に皆で撮った写真があるんだが、見るか?」
天野「はい。見せてください」
祐一「ほら」
そう言って写真を見せる。
天野「・・・・・・・相沢さん」
祐一「ん?なんだ?」
天野「写真に書いてある文字が、どう読むのか分かりません・・・」
祐一「どれ」
俺は写真を見た。
俺の書いた字だ。
祐一「『四露死苦』」
天野「・・・当て字ですか」
祐一「当て字だ」
天野「・・・・相沢さんの家族は、5人家族なんですか?」
祐一「え?いや違うぞ。真琴を入れても4人だ」
天野「でも、ここには5人写ってますけど・・・」
祐一「何ィ!?」
写真を見る。
祐一「・・・・・・・・・・」
そう、5人目が写っていた。
・・・しかし、見覚えは無い。
祐一「・・・まさか、これわ・・・」
天野「・・・心霊写真、ですか」
祐一「ぐあああっ!」
なんでプリント機でこんなものが写るんだぁっ!
しかも、なんか後ろのほうで狐火がぁっ!
祐一「誰なんだ!?一体、だれだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
・・・謎を残しつつ、裏Kanon(真琴編)END
あとがき:
炭「うぐぅ・・・力尽きた・・・オレにはこれが限界ですにょ・・・」
真琴「この腐れ帝王・・・よくも好き勝手やってくれたわね」
炭「おわっ!や・・・やぁ、殺村凶子ちゃん」
真琴「誰が殺村凶子よっ!」
天野「真琴。助太刀します」
炭「ぐあっ!美汐まで・・・オレが一体何をしたって言うんだぁっ!」
天野「自分の胸に聞いてください」
真琴「とりあえず、全身に爆竹を巻いて・・・」
炭「あっ!何をするっ!っていうか、いつのまにオレ縛られてるのっ!」
天野「・・・それでは、点火」
カチッ
パンパンパパパパンパパパパンパパパンパパンパンッ!
炭「ぐああああっ!」
真琴「ふぅ・・・これで懲りたわね。次からはこんな腐れSSなんか書かないように」
天野「同じくです」
炭「ぐ・・・また殺され役かよ・・・げふっ(吐血)ラストあゆ編、がんばるぞ・・・お・・・」
END