栞編 1月31日〜

目がさめていた。

カーテン越しに差し込む光はまぶしくて、今日が良い天気であることを物語っていた。

体をゆっくり起こして、壁にかかっているカレンダーを見る。

1月のカレンダーの、1番下の数字。

1月31日。

1月最後の日。

そして、栞と約束した1週間が、終わりを告げる日・・・

栞と会える、最後の日。

そんな1日が、まるで何事も無かったかのように、ただゆっくりと動き出す。


栞「今日も良いお天気です」

商店街を歩きながら、隣で微笑む少女が、ぐっと背伸びをする。

栞「日頃の私の行いですね」

祐一「でも、夜は雪になるらしいぞ」

栞「夜は、祐一さんの日頃の行いです」

祐一「どうして、そんなに都合良く分かれるんだ」

栞「裏Kanonが今回で最終回だからです

祐一「関係無いだろ・・・」


栞「本当に、いいお天気ですね」

栞「それに、やっぱり外は空気が気持ちいいです」

栞「家の中の、25倍は気持ちいいです」

祐一「どんな基準だ、それは」

栞「それぐらい、外のほうがいいって事ですよ・・・」

栞「・・・・・・」

祐一「・・・栞?」

栞「はい?」

祐一「さっきから気になってたんだけど・・・ちょっと顔色悪くないか?」

栞「いつも通りですよ」

そう言って、首を傾げる。

しかし、そんな何気ない仕草も、どこか憂いを帯びて見えた。

祐一「・・・」

栞「わ。じっと見ないで下さい・・・」

栞「ちょっと恥ずかしいですー」

照れたようにふいっと横を向く。

祐一「・・・栞、ちょっと待て」

栞の手を掴む。

栞「・・・・・」

栞の、小さくて柔らかい手・・・

祐一「もしかして、熱があるんじゃないか・・・?」

その手は、明らかに真っ赤になって『じゅうじゅう』と音を立てていた。

祐一「・・・・って、火傷じゃんかっ!

栞「霜焼ですよ」

祐一「嘘こけっ!」


祐一「よし、じゃあどこへ行く?」

栞「ゲームセンターがいいです」

祐一「この前の雪辱戦か?」

栞「はいっ。今度は負けませんっ」

祐一「じゃあ、今回も負けるにジュース1本」

栞「祐一さん、ひどいですー」

祐一「だったら、栞は勝つほうにジュース1本だな?」

栞「わ、わかりましたっ」

祐一「楽しみだな」

栞「・・・負けないですっ」

栞の笑顔と、その先にある現実の姿・・・

最後まで、いつもと変わらない日常の中を、たったふたりで歩いていく・・・

それが、少女の望みだから・・・・

俺が栞にしてやれる、たったひとつのことだから。

流れるように、時間が過ぎた。

朝。

白く光る粉雪が舞い降りる街で、

約束の時間より早く着いた俺を、白い帽子を被った少女が遅いといって笑っていた。

昼。

吹き荒ぶ木枯らしにコートの襟を合わせる人の行き交う街で、

お腹をすかせた二人が、お互いの顔を見合わせながら、どちらからともなく笑っていた。

夕暮れ。

帰路を急ぐ大勢の人達が、たったひとつの色に染まる街で、

大きな流れに逆らうように、手をつないだ二人が赤い雪に影法師を落としていた、

そして、夜。

栞「見てください祐一さん、息がこんなに赤いですよ

祐一「それは吐血って言うんだっ!


淡い照明に照らされた公園。

お互い無言だった。

どちらからともなく向かった先は、静寂の闇を流れる水の音だけが響く場所。

表面の凍った雪をぱりぱりと踏み割りながら、俺と栞は二人、その場所に立っていた。

雪の結晶に公園の照明が反射して白い絨毯がひらひらと輝いている。

栞「・・・・・」

そんな景色を、栞はただ無言で見つめていた。

栞に言葉は無い。

だけど、胸は確かに上下し、小さな唇から白い息が規則正しく吐き出されていた。

栞「少しだけ、疲れました・・・・」

俺の体にもたれるように寄りかかり、力なく言葉を吐き出す。

祐一「そうだな・・・今日はたくさん歩いたもんな」

栞「モグラさんも叩きました」

祐一「そうだな・・・・上手くなったな、栞」

栞「ドーピングしましたから

祐一「何イイイィィィッ!?」

っていうか、モグラ叩きぐらいでそんなことするなっ!」


手を繋いだまま、ゆっくりと、雪の中を歩く。

栞「・・・祐一さん・・・」

握った手に、僅かに力が入る。

栞「今日は楽しかったです・・・」

祐一「俺も楽しかった」

栞「今度、行きたいところがあるんです・・・・」

栞「この前、祐一さんと一緒に行った喫茶店に、もう一度行きたいです・・・」

栞「そして、もう一回闇鍋食べたいです・・・

祐一「それ以外にしてくれ


見上げた夜空からは、絶え間無い雪・・・。

すぐ隣には、雪に負けないぐらい白い肌の少女・・・

栞「祐一さんと出会って、たった3週間でしたけど・・・」

白い吐息と一緒に、ぽつい、ぽつり、と言葉を紡ぐ・・・

栞「私は、幸せでした・・・」

栞「夕暮れの街で、初めて出会いました・・・・」

栞「地雷が埋まっている中庭で、再会しました・・・

祐一「・・・余計な修飾語を付けないでくれ」


栞「私、多分、死にたくないです・・・」

栞「本当は、祐一さんのこと、好きになってはいけなかったんです・・・・・」

栞「でも・・・ダメでした・・・」

いつも笑顔で、ずっと笑っていた少女・・・

最後の最後まで、流れ出る涙をこらえながら・・・・・。

栞「私、笑っていられましたか?」

栞「ずっと、ずっと笑っていられることが出来ましたか?」

祐一「ああ、大丈夫だ・・・・・」

栞「・・・良かった」

螺旋の雪が降っていた。

真っ黒な雲から、溢れ出るように降っていた。

聞こえているのは、水を叩く噴水の声だけ。

時計の針が回るように、真っ白な雪が螺旋を描いて空に舞っていた。

栞「あと、どれくらいでしょうか・・・・」

祐一「そうだな・・」

街頭に照らされた、大きな時計・・・。

栞「これで、私もやっと祐一さんの一つ下です・・・」

あと、数分で日付が変わる・・・

新しい時間。

新しい月。

祐一「・・・ちゃんと、プレゼントだって買ってあるんだ」

栞「・・・ほんと・・・ですか?」

祐一「・・・高かったんだからな」

栞「・・・嬉しいです・・・」

祐一「でも、まだだ・・・」

栞「そうですね・・・」

祐一「あの時計の針が、0時を指すまで・・・」

栞「もう少し、ですね・・・」

祐一「そうだ・・・もう少しだ・・・」

栞「・・・はい」

そして・・・・。

祐一「・・・栞」

祐一「誕生日、おめでとう・・・」

 

どこからか、声が聞こえる・・・

大好きな人の声・・・

その言葉は、たったひとつ。

『さようなら、祐一さん』


ひとり、雪の中に立つ少女。

寂しそうなまなざしで、

全てに怯え、

全てを克服して・・・

そして悲しみを受け入れて・・・。

『そうですよ、奇跡でも起きれば何とかなりますよ』

雪のように白く、

『起こらないから奇跡って言うんですよ・・・』

楽しい時には笑って、

怒った時には拗ねて、

寂しい時には甘えて、

だけど、悲しい時には絶対に泣かなかった。

涙を凍らせたように、穏やかに笑っていた。

なぁ、栞。

俺は・・・約束守ったぞ。

もうすぐ長かった冬は終わりを告げる。

誰かが待ち望んでい瞬間。もうすぐ。

祐一「・・・名雪」

名雪「どうしたの?祐一」

祐一「春、好きか?」

名雪「うんっ」

白いかけらが舞い落ちていた。

見上げると、どこまでも青く広い空。

名残雪さえ姿を消した町並み。

もう一度、ひらひらと何かが舞い落ちる。

名雪が手のひらをかざしてそのかけらを受け止める。

名雪「・・・毛虫

祐一「・・・なんで毛虫がひらひら落ちてくるんだ」


授業中。

あれだけ室内に響いていた空調の音も消え、黒板をノックするチョークの音が、一際教室に響いていた。

何気なく顔を上げると、すぐ目の前に英語教師の顔が合った。

さすがにこの席だと黒板が良く見える。

もっとも、両端に書かれた文字だけは、光が反射して見えにくいのだが。

祐一「・・・・・」

席替えがあった。

新しい机は、教卓前の特等席だった。

もっとも、これは自分で希望したことだ。

くじ引きに運をたくすより、担任に頼んでこの席にしてもらうほうを選んだ。

・・・・どうしても、窓際の席は嫌だった。


祐一「・・・・・・・」

ここの風景も、ずいぶん様変わりしていた。

俺の知っている中庭の風景。

一面の雪に囲まれて、冬の冷たい風に揺れる木々。

相変わらず人の姿は無いけど・・・。

それでも、もっともっと暖かくなれば、きっと弁当を抱えた生徒で溢れかえることだろう。

そして、埋められた地雷によって爆発と悲鳴と死傷者で彩られることだろう。

祐一「・・・・そうなったら、本当に知らない場所だな・・・・」

祐一「・・・で、何やってんだ、こんなところで」

声「来たら、ダメなんですか?」

祐一「・・・家で寝てないと・・・治るのも・・・治らないぞ」

声「大丈夫です。今日から学業再会ですから」

祐一「・・・・そうか・・・」

声「はい」

祐一「もうすぐ3学期も終わりだぞ・・・」

声「はい」

祐一「もう1回・・・1年生確定だな」

声「そんなこと言う人、嫌いですよ」

祐一「・・・約束、覚えているだろうな」

声「ちゃんと、覚えていますよ」

声「だから、ここに来たんですから」

祐一「俺、もう今日は昼食食べたぞ」

声「ダメですよ、無理してでも食べてください」

声「せっかく、一杯買ってきたんですから」

祐一「そうだな・・・もう、ずいぶん暖かくなったもんな・・・・」

声「はい」

声「やっぱり、寒い時より暖かいときに食べたほうがおいしいですから」

祐一「当たり前だ・・・」

暖かな日差しだった。

あの白い風景が嘘のように、

土の香り、

春の風、

爆発音。

そして、紙袋を抱えた少女。

声「起こらないから奇跡って言うんです」

祐一「・・・そうだったな」

声「でも・・・・」

ひとつ、ひとつ、

確かめるように、

声「私・・・ウソツキですよね・・・」

噛み締めるように、

祐一「ああ、そうだ」

声「祐一さん・・・・」

穏やかな表情が、

ゆっくりと、

本当にゆっくりと、

声「こんな時・・・」

今まで決して人に見せなかった表情、

誰も悲しませたくないから、

凍った涙の中に隠していた少女の思い。

声「こんな時は・・・泣いていいんですよね・・・?」

祐一「泣いてくれないと俺が困る」

声「どうして、ですか・・・?」

祐一「男が先に泣くわけには行かないだろ」

声「あはは・・・そうです、よね」

乾いた地面に、スッポンドリンクとマムシドリンクの入った紙袋が落ちる。

栞「う・・・うぐっ・・・」

栞「えぐっ・・・祐一・・・さんっ」

栞「私、本当は死にたくなかったです・・・っ」

栞「お別れなんて嫌です・・・っ」

栞「ひとりぼっちなんて、嫌です・・・っ」

栞「うぐっ・・・えっ・・・ううぅ」

絶対に人に見せなかった、悲しい涙。

冬の雪が溶ける様に・・・。

地面に落ちる涙、拭うことなく・・・。

祐一「悲しい時には、泣いたっていいんだ」

栞「えぐっ・・・ううっ・・・っ!」

祐一「ずっと、今まで我慢してきたんだから」

栞「・・・はいっ・・・」

栞の小さな体を抱きしめながら、

二度と来ることの無いと思っていた時間を確かめながら、

震える少女の肩に手を重ねながら、

耳元で微かに聞こえる声を聞きながら、

俺は、

春の暖かさを、背中一杯に感じていた。

・・・・とりあえず、前方にあるマムシドリンクとスッポンドリンクは飲まなければならないのだろうか?

 

裏Kanon 栞編 END


後日談:

祐一「しかし、なんで治ったんだ?」

栞「スッポンドリンクとマムシドリンクを毎日20本以上飲んでいたら治りました

祐一「嘘ッ!?」


あとがき:

炭物「うぃ・・・やっと終わったよ・・・栞編・・・長かったよ・・・」

栞「・・・私はアイスクリームが好きなんですよっ」

炭物「おや栞ちゃん。ご苦労さまでした」

栞「あ、はい。・・・って、だから、どうして健康ドリンクなんか・・・」

炭物「思いつきっ!以上!」

栞「・・・そういうこと言う人、嫌いです」

炭物「とか言いながら、なんでストールをはずして両手に持ってるのかな(汗)」

栞「そういうこと言う人、嫌いです」

がしぃっ!

ぎゅうううぅぅぅっ!

炭物「おわっ!?」

栞「嫌いですー」

炭物「え、笑顔で・・・首を・・・締めないでくれる・・・?・・・あ、裏Kanon栞編はこれで終了です・・・壊れまくっていましたがどうでしたでしょうか?今まで見てくれた皆さん、ホントにこんな駄作に付き合って戴いてありがとうございました・・・」

栞「結構余裕ですね・・・えいっ」

ぎゅっ!

炭物「ぐっ・・・・・(心音停止)」

END