東方野球狂 〜Go mad to baseball


第9話


どぐぅっ!!
ベンチまで聞こえる鈍い音と共に、俺は飛び出していた。
「藤原ぁッ!!」
どさっ、と崩れ落ちる藤原。
「ぐぅ………っ!!」
藤原の顔が苦痛に歪む。
当たり前だ。130キロ超のスピードボールが、脇腹にクリーンヒットしたのだから。
野球初心者には避ける暇もなかっただろう。
最悪、骨折は免れない。
「藤原、ヘタに動くなっ!!今担架を持ってきてやる!!」
このとき俺は、藤原を病院に連れて行くことを真っ先に考えていた。
それは勿論、もうプレイが出来る状態ではない、と思っていたからだ。
考えてもみろ。
身体能力が高いとは言え、野球のド素人が、いきなり硬球を脇腹にぶち当てられてるんだ。
まず俺なら泣くね。
というか呼吸も出来ない。
ヘタすりゃあばらが折れてる。
そんなことが容易に想像できたので、俺は担架を呼んだのだ。
だが。
「………だい、じょうぶだって、これぐらい………」
歯を食いしばり、片手を杖代わりにしながら、藤原は立とうとしていた。
「お、おい!!無理するな!!ヘタすりゃ骨折してんだぞ!!」
しかし、藤原は俺の制止を聞かず、立ち上がるのをやめようとしない。
「何度も言わせんなって………ちょっと待ってれば、すぐ回復するから」
「んなっ………!!」
藤原が何を言っているのか、俺は理解できない。

「ちょっと待ってれば、すぐに回復する」?

そんな程度で済むもんじゃないのは、ここにいる誰もが分かっているはずだ。
ちょっと転んだとか、膝をすりむいたとか、そんなレベルじゃないんだ。
なのに。
俺の目の前で。
藤原は、しっかりと立ち上がった。
「………よし、もう大丈夫」
「………」
すたすたと一塁に向かって歩いていく藤原。
「………ま、待て藤原!!」
「ん?」
振り返る藤原。
先ほどまで悶えていたとは、とても思えない。
まさか、演技………?
いや、あれだけのスピードボールを腹に受けて、その痛みを押し隠して演技など出来るはずがない。
ということは、本当に治った………のか?
「どうしたのさ、監督」
「あ、ああ………ほ、本当にもう、大丈夫なのかな、と思って」
「心配性だな、監督は。ほら、大したことないって」
そう言って、軽く脇腹を叩く。
………もし、演技だとして。
脇腹を叩いてみせる、そして、全く痛がる素振りを見せない………そんな芸当が可能だろうか?
「………そうか。分かった、行っていいぞ。だけど、もし何か異常を感じたらすぐに言えよ」
「あはは、大丈夫だって」
藤原は笑うが、普通なら今頃、救急車を呼んでいてもおかしくないんだ。
しかし、藤原が嘘をついているようには見えない。
ならば、交代させる理由はない、か。
ふう、と俺は一つ息をつく。
とりあえず、こっちは片付いた。
あとは、もう一つ片付けなきゃいけないことがある。
俺は、マウンドに立ちつくすフランドールの元へ歩を進めていった。
「おい、監督………」
霧雨が何かを言いかけたが、やめた。
もとより俺は、話しかけられたとしても、話す気など何もなかった。
それぐらい俺は、怒っていた。
ざっ、ざっ、ざっ。
フランドールとの距離が近づく。
何故俺が、フランドールの元へ歩いているか。
答えは決まっている。
アイツの頬を、思い切り引っぱたいてやる為だ。
先ほどの、藤原へのデッドボール。
明らかにあれは、狙って投げたものだ。
その証拠に、投げるときの目線がそもそもキャッチャーの方を見ていない。
わざと藤原向かって投げた理由は知らんが、どんな理由であれ、わざとぶつけるなど言語道断だ。
ひとつ教育的指導ということで、拳骨の一つでも食らわせてやらなきゃ気が済まない。
「お待ちなさい」
だが、一人の女性の声に、俺の歩みは止まった。
「四季映姫審判………」
振り返ると、四季映姫審判が仁王立ちしていた。
背丈は俺よりも小さいが、その堂々とした威厳に満ちた態度は、俺ですら圧倒される。
「何をしようというのですか、貴方は」
「何って………」
まさか、今からフランドールを引っぱたきます、などとは言えない。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、四季映姫審判は言葉を続ける。
「貴方の気持ちも分かります。しかし、ここはお下がりなさい」
「お下がりくださいって………そう言われて引き下がるとお思いですか?」
引き下がる気など毛頭無かった。
せめて一言、フランドールに言わなきゃ気が済まない。
しかし四季映姫審判は、ふぅ、とため息をついて言い放った。
「………もう一度言います。お下がりなさい」
今度は命令だった。
しかし、俺は動かない。
その俺の態度に、今度ははあ、と大きなため息を、ひとつ。
そして。
「下がりなさいッ!!」
目をかっと見開き、一喝。
「………ッ!!」
な………なんつー気合だよ。
そして、なんという堂々とした態度。
そこには、何人たりとも自分の命に背くことまかりならない、そんなオーラに満ちていた。
「………そう、貴方は少し直情的すぎる。いい大人なのですから、もっと理性ある行動を取りなさい」
「む………そうですか」
痛いところを突かれてしまった。
「………とにかく、この場は下がっていただきたい。心配せずとも、彼女には私から審判を下します」
「え………?」
審判を下す?どういうことだ?
何を言っているのかよく理解できていない俺をよそに、つかつかとフランドールに歩み寄る四季映姫審判。
「な………なによ!!」
無言でありながらもその威圧感、いや、無言だからこそ際立つ威圧感が、さしものフランドールですら、動揺を誘う。
二、三歩手前でぴたりと止まると、四季映姫審判はどこから出したのか、勺のようなものを突きつけた。
「………フランドール・スカーレット。貴方を退場処分とします」
………静かな、しかしぴんと弓を張ったような声が、グラウンドに響く。
「………え?」
グラブにボールを叩きつけていたフランドールの右手が、ぴたりと止まる。
四季映姫審判が何を言ったのか、フランドールは理解できていない様子だった。
「………聞こえませんでしたか?退場、です。今すぐにグラウンドから退きなさい」
さっきの俺に対しての場合と同様、毅然とした態度の四季映姫審判。
「な、何で!?なんで私が退場なのよ!!」
自分の胸に聞いてみろよ。
そう言いたかったが、四季映姫審判に小言を言われそうなのでやめておく。
「私の目が誤魔化せるとお思いでしたか?藤原妹紅への死球………故意によるものに他なりません」
「ぐッ………で、でも、どこにそんな証拠があるってのよ!!」
「証拠………?」
フランドールの言葉に、四季映姫審判の体がぴくり、と動く。
確かに証拠なんてない。
当たり前だ、デッドボールなんて試合中に日常茶飯事に起きるものだ。
そんなものが故意かどうかなんて、いちいち調べていたらキリがないのだから。
「そ、そうよ!!証拠もないのにそんな言いがかりなんて………!!」


「黙らっしゃいッッッ!!」


本日二度目の、怒声。
「証拠………?そんなもの、必要ありません!!」
「ええっ!?」
その言葉に、敵味方の誰もが驚く。
「………何故なら!!私がルールだからですッ!!その私が退場と言った以上は………退場です!!」
カッと目を見開き、言い放つ。
「お、おいおい監督………これっていいのか?審判として」
あの霧雨までもが、「まずいんじゃないの?」という顔だ。
「いいも悪いも………」
「いいも悪いも?」
「………良いに決まってるだろ」
「え………えぇ?」
想像した答えとはまるで逆だったのだろう、またも霧雨は驚いていた。
「だって、独断でフランを退場だなんて………」
「やっていいさ。それが審判の権限だからな。極論を言えば、完全にアウトの判定をセーフと言うことも出来る」
「えぇっ!?」
霧雨が驚くのも無理はない。
だが本来、審判にはそれほど強力な権限が用意されてしかるべきなのだ。
そして、それ相応の責任も。
「………早く、グラウンドから退きなさい。それが今、貴方に積める唯一の善行です」
そう言い残し、自分のメインポジションである主審の位置へ戻る四季映姫審判。
代わりに、向こうのベンチから八坂監督が出てきた。
………考えるまでもない。ピッチャー交代だろう。
フランドールは、呆然と立ち尽くしたまま、動かない………いや、動けない。
「………ふぅ。流石に、少し言い過ぎましたかね」
その様子をちらりと見て、四季映姫審判がぽつりと呟く。
俺は、四季映姫審判の方へ向き直り、真っ直ぐ見据えて、言った。
「………いえ、そんなことは無いと思います。立派でした」
俺の、本心だった。
今まで数え切れないぐらい、野球の試合を経験してきたが、これほど高潔な審判を見たことがなかった。
この人ならば、甲子園の決勝戦の主審を任せても、中立に、公平に裁いてくれるはずだ。
そう思ったから、俺は自然と、頭を垂れていた。
「先ほどは、すいませんでした」
そこでようやく四季映姫審判は、穏やかな表情に戻り。
「分かっていただけたのなら、それで構いません。今後も、あまり熱くなりすぎないように」
「はいっ」
そうして、踵を返しベンチへ戻る。
「ああ、あと一つだけ、いいかしら」
「え?」
四季映姫審判の言葉に、振り返る。
四季映姫審判は、左手の人差し指を出しながら。
「………良い試合を、期待していますよ?」
………それは、言われるまでもないことだった。
だから。
「任せてください」
俺はそう、言い切ったのだった。


あとがき:
フランちゃん汚れ役過ぎる………
「俺の嫁をコケにするとは良い度胸だ表出ろ貴様」という人には土下座で勘弁もらうとして、
まあある意味フラン成長フラグと受け取って貰えれば幸い。
いずれでっかい人間(吸血鬼だけど)になって帰ってくるフランに乞うご期待、と受け取って欲しいなあ。
それ以外はこの回の主役でもある、四季映姫の扱いに気を遣ったつもり。
審判と言えばこの人しか思いつかない。審判の権限云々については個人的な見解なのであまり気にせずに。
んで、フランに代わる投手は誰なのか。それは次の話で。

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